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September 09, 2009

スペイン語に架ける恋の橋-28-

「それで、マリアドールMaria muñecaはどこにあるの?」
マリアドール。それは兄の娘、ホセの姪エリザベスがマラガに引っ越すことになった時に、あの娘が大切にしてねとプレゼントしてくれた人形だ。たぶん自分の代わりに可愛がって欲しいという意味だったんだと思う。母親madreに手伝ってもらったのか手作りの人形で、胸に小さくマリアと文字が縫い込んであった。毛糸でできた長い髪の毛peloはエリザベスと同じきれいなブロンドで、目ojoにはちょっと大袈裟な睫毛が生えていた。
この店をオープンしてから家にいる時間が少なくなったので、人形はカウンター端に置いてある小窓付きの扉のある棚に大事に収めてある。あまり目立つように置いてはないのだが、たまに若い女性客が目を細め楽しげにその人形を見たり、連れの人と何か話をしている。以前昼間にアルバイトをしてくれていたモニカによると、スペインの女の子niñaは必ず1回は人形作りにはまるらしく、マリアドールを見て子供の頃を懐かしんでいるのだという。
ホセは縁起を担いだりする方ではないのだが、この人形を店に置く前と置いた後とで客の入りが変わったような気がした。特に外国人観光客がよく来るようになったように思う。だいぶ前に来た日本からの留学生に聞いた話では、日本には客をたくさん呼ぶために片手を上げた姿で座っている招き猫という置物があるそうで、特に飲食店ではよく見かけるものらしい。エリザベスがこの人形を渡してくれた頃にはまだ店を持つことさえ考えていなかったが、今こうして見るとマリアドールは両手を前で組んでいるような形で、いらっしゃいませをしているようにも見える。招き人形になってくれているのかもしれない。
「マリアドールのことを何で知ってるんだ?」ホセは牛柄女に訊いた。
「うーん、うまく言えないけど、わたしのお姉さんというか、憧れというか。とにかくこのお店に来ればマリアドールに会えるって聞いてきたから。」
ホセはカウンターの端の棚を指差してやった。女が顔を輝かせてそちらに駆け寄った。

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スペイン語に架ける恋の橋-27-

「アスタ ルエゴ!」。
あした ねえご?明日ねぇ、ごう?また明日ってことか?ただの挨拶か?ごうって何だ?お前は牛だから、せめてモウじゃないのか。
ホセはぶつぶつ呟く。すっかり参っている。焦っているためか息まで荒くなっている。
もう訳もわからず、とにかく牛柄女の腕を抱え、急ぎ足で再び歩き出した。

店に戻ると冷蔵庫を開け、1本8ユーロで客に出しているガス入りミネラルウォーターagua con gasを取り出し、ボトルに口をつけて流し込んだ。喉の奥で炭酸が勢いよくはじけ、頭を一気に冷やしてくれる。カウンターの端にかけてあったタオルを手に取り、口を拭う。大きな呼吸を2~3回したら、ようやく少し落ち着いてきたように感じた。
まずはこの牛柄女がどこの誰なのか。そして何で自分の店に来たかったのか。それを訊く必要がある。じいさんとの妙なやり取りのことは後回しでいい、ととりあえず思った。
「君はどこから来たんだ?¿De donde eres?いったい誰なんだ?¿Quien eres?」前置きもなくホセは訊いた。4人掛けのテーブルmesa席に腰掛け、店の中を珍しそうにキョロキョロ眺めていた女は、少し驚いた風に目を見開き、「けっこう狭い店なのね。」
ホセの質問には答えず、相変わらず店内の品定めをしている様子だった。
「食べ物がおいしくてすごく流行ってるって聞いてたから、てっきり広いんだと思ってた。」
「店は少し狭い位がいい。どの客がどんな具合に満足してるとか、盛り上がってるとか分かった方が接客がしやすいんだ。注文もたくさん取れるしね。」店の評判がいいということを言われたので少し気分が良かった...いや、ちょっと待て。そうじゃない。
「そんなことを訊いてるんじゃない。誰なんだいったい。何しに来た?」たぶん目が血走ってるだろう。恐い顔になってるはずだ。相手は女だが、そんなことを気にしてる余裕はなかった。いやもっと正しく言えば、得体の知れないこの牛柄女をほっといてはいけない。自分が何とかしないと、世話しないといけないんだという気が何故か初めから起きていた。全く知らない、奇妙な格好をした相手だというのに。
しかし牛柄女は相変わらず席に座ったまま、店の中を見回している。そして信じられないことをさりげなく言った。
「それで、マリアドールはどこにあるの?」

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September 07, 2009

スペイン語に架ける恋の橋-26-

暑くもないのに背中のシャツの下をぬるいものが伝う。そのくせ口が渇く。気づくとホセも口をポカンと開けていた。
こんな馬鹿なことはない。俺はスペイン人だし、国から出たのは何年か前に幼馴染みの結婚式でキプロスに半日滞在したことがあるだけだ。商売柄外国語はいくつかできるが、どれも流暢ってわけじゃない。
いや、このじいさんが実はスペイン語ができないだけなんじゃないか。なんせ今まで一度も言葉を交わしたことはないから。顔は外国人には見えないが、昔建設現場などで働くために北アフリカから流れてきてそのまま居ついただけなのかもしれない。
混乱する頭の中を何とか落ち着かせようと、ホセはあてもなく考えを巡らした。しかし落ち着く場所はどこにもなさそうだった。思い当たることは、この牛柄女と出会った後から始まったということだけだ。
背中にシャツがもう張り付くほど汗をかいている。これ以上ここに居ても仕方がない。まずは店に行くんだ。ホセはようやく気を取り直し、牛柄女の方を改めて振り向いた。
が、後ろにいたはずの女は、いつの間にやらじいさんに近づいており、何事か話をしている。何やら二人とも楽しそうだ。じいさんも黄色い歯をむき出して笑っている。
もうかっこをつけてる場合じゃない。「おい、行くぞ!俺の店だ!」大声で叫ぶと牛柄女は軽く跳び上がってからこちらにはねるように戻ってくる。そしてじいさんに大きく手を振ると大声で「アスタ ルエゴ!Hasta luego.」。

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